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10月6日(日)
会員の皆様、こんにちは。箱根強羅の落合です。
朝と昼の寒暖差があり、中々半袖がしまえずにおりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
秋と言えば仙石原のススキ草原が、そろそろ色づく頃でございます
車でもバスでもお越しになれますので、是非散策を楽しまれてくださいませ。
昔ススキがどのように使われていたのかを、ご紹介させていただきます。
「ススキ草原今昔物語」
仙石原は江戸時代初期まで「千石原村」という地名でした。
昔は一面、樹木もない広大な原野が広がっており、ここを開墾すれば千石もの穀物が獲れるだろうということから名づけられたそうです。
でも、火山灰土壌と湿地のため、それは夢と終わり、屋根葺き用のカヤを近隣の村に出荷するのが主な仕事だったとか。カヤ、すなわちススキです。
いまは美しい風景として多くの人たちに楽しまれていますが、昔は生活の大事な糧だったのです。

皆様のご来館をお待ち申し上げております。